読書2008_科学

物理のABC

新装版 物理のABC―光学から特殊相対論まで (ブルーバックス)

新装版 物理のABC―光学から特殊相対論まで (ブルーバックス)

前から気になってた疑問が2つ、解消されました。
1つは光の速さを測る実験方法。「気になっているけど特に調べもせずにいる疑問」の中の1つだったのですが、この本でその理屈が説明されていたので、すっきりしました。
もう1つは、ちょっと抽象的なお話です。「物質は光速を超えることはできない」という法則は、なぜ「証明されている」と言えるのか、という疑問から発して、物理学で言うところの「証明されている」とはどういう意味かという疑問をもっていました。*1
で、簡単に言えば「仮説から導きだされる推論が、膨大な観測や実験の結果と合致している」ということだと理解しました。数学の証明のように、論理的に覆しようがない、という意味の証明ではない。そういう意味では、反例が1つでも見つかれば覆る可能性があるものだということです。
ただし、「覆る」と言うとき、根本から覆るのか、特殊な条件下でのみ成り立たない場合がある、ということなのか、どちらを想定しているのか考える必要があります。また、「可能性がある」という言葉の意味も慎重に考えなければいけません。例に出した法則が根本的に覆ることを想定した場合、たしかに可能性は「ある」のですが、それは「ものすごく小さい」のです。
一般に「科学は絶対ではない」と言われるとき、この覆る可能性が誇張されているきらいがあります。もちろん科学は絶対ではありませんし、間違いうる。むしろ、間違いの積み重ねによって発展するものとも言えるわけです。だから、特に新しい知見であればあるほど、間違いを含んでいる可能性はあります。それでも、まず絶対に覆らないだろう事実、というのもまた存在するわけです。そのことはきちんと理解しておく必要があると思います。
ところで、今ここで書いた「証明されている」の意味は、自然科学の多くの分野で適用できるものだと思いますが、経済学での「証明されている」はどういう意味なのでしょうね。最近少し興味が出てきたので、気になっています。

その数学が戦略を決める

その数学が戦略を決める

その数学が戦略を決める

絶対計算の浸透と有効性について説明した本です。
絶対計算とは、一言で言えば、膨大なデータを分析し、それに基づいて様々な意思決定を行うこと、とでも言えるでしょうか。その分析が、一見関係無いように見える事柄の間に関係性を見出し、それにもとづく予測が、経験を積んだ専門家の意見よりも正しく未来を予測する。そういうことが各分野で起きていることが多くの事例とともに語られています。
この絶対計算を考える上でのポイントは、技術の発展によって膨大なデータを低いコストで集められるようになってきた、ということでしょう。分析手法も発展し、計算にかかるコストも小さくなってきているでしょうが、データがないことには話になりません。絶対計算の発展の背景として、インターネットをはじめとする技術群が社会のありようを変え、ある部分では、ほとんど自動的にデータが集まるようにさえなっているという事実が大きいでしょう。逆に言えば、データ収集のコストがまだ高い分野では、絶対計算の出番もまだあまりないかもしれません。
絶対計算を用いるためには、何をするために、どんなデータを集め、分析し、その結果をどう読むのか、というところが重要でしょう。いくら関係の見えないところに関係を見出す(ことが多い)のが絶対計算だとは言え、プロ野球のペナントの行方を予測するために、100年間の気候データを分析しても、多分役には立ちません。適切な目的設定と分析設計が肝だと思われます。
あと、もうひとつ。本書でもとりあげられていますが、感情の問題も指摘しておくべきでしょうね。人の命に関わる医療の分野や、様々な立場の人の利害が絡み合う政治的な問題について、意思決定のために絶対計算をもちいることには抵抗が大きいでしょう。理屈では計算に従った方が期待値が大きいと知っていても、自分やその身の回りの生命や利害が関係してくると、どうしても慎重にならざるを得ません。計算によって示唆される行動が直感に逆らうものだとしたら、なおさらです。こういう分野については、社会的な合意が形成されるまで、時間がかかるでしょう。

生物と無生物のあいだ

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書)

読む前の予想に反して、学問の世界のエピソード部分が多く、読み物としておもしろく読めるようになっていました。そういう読み物として読むと、全体のトーンとしてちょっと感傷的すぎないか、という感想を持ちました。まあ、ここらへんは好みの問題かもしれません。
啓蒙書としては、生命とはどういう現象なのかというテーマに対して、とても示唆に富む本でした。

*1:法則自体を疑っていたわけではありません。あくまで、どういう理屈でそれが「証明されている」と言えるのか、ということがいまひとつ腑に落ちてなかったのです。あ、でも、この本に以下で書くような内容が説明されているわけではないですよ。あくまで私の中で考えていたことが、本の内容に刺激されて自分なりに納得できる結論に落ち着いた、ということです。